宇和島市議会 2022-12-07 12月07日-02号
大阪万博の施設の建設費、想定時の倍になって、建物の中身などを見直すことによって、おおよそ半分に抑えるとか、いろいろな工夫をされているようでありますが、宇和島の新伊達博物館の建設整備費の増大は、いかほどで収まると、現状想定されておりますでしょうか。これは数字ですので、教育部長、お願いします。 〔「議長」と呼ぶ者あり〕 ○副議長(中平政志君) 片山教育部長。
大阪万博の施設の建設費、想定時の倍になって、建物の中身などを見直すことによって、おおよそ半分に抑えるとか、いろいろな工夫をされているようでありますが、宇和島の新伊達博物館の建設整備費の増大は、いかほどで収まると、現状想定されておりますでしょうか。これは数字ですので、教育部長、お願いします。 〔「議長」と呼ぶ者あり〕 ○副議長(中平政志君) 片山教育部長。
これは今、資料を付け加えさせていただいている、コロナと遺伝子ワクチンの不都合な事実ということで、井上大阪市立大学名誉教授が今、述べられております。これも、サーキュレーションリサーチという論文を精査するところがあるそうです。
具体的には、愛媛県の東京事務所や大阪事務所、愛媛県のアンテナショップのせとうち旬彩館には定期的に発送しているほか、県外で宇和島を応援していただいているうわじま応援隊にも発送し、店舗等に設置をしていただいております。
一方で,震災後,建築士など技術者の不足による人材の獲得が難しくなっていることに加え,東京オリンピックあるいは大阪万博などに向けた建築ラッシュが続く中,地方における建築技師の不足は深刻さを増し,本市でも採用難の状態が慢性化しております。 特定行政庁への基盤整備につきましては,このような現状を冷静に分析し,有効な策について研究し,これまでの取り組みが生かされるよう鋭意努力いたします。
今、G20が新潟、そして福岡、そして今月末には大阪で開催され、また世界各国の首脳が日本に集まり、今後の日本のあるべき姿、そして世界がどういうように友好関係を図っていくか、その協議が行われます。また、我が愛媛県におきましても、9月にはG20会場となっております。
そんな中でちょうど1カ月前、11月24日未明の話になりますが、大阪で万博が誘致されることが決定されました。1984年生まれの私にとってみれば、私が生まれる20年前の1964年、戦後の焦土化した日本に東京オリンピックがやってきた。そこから約5年後の1970年大阪万博がやってきた。今大人になって、いよいよ2年後の2020年には再び東京オリンピック・パラリンピックがやってくる。
オリンピック2020や大阪万博2025にセレモニー参加推薦についてです。 世界に発信する書道パフォーマンス,日本の書道や文化芸術の伝承のパフォーマンスとともに,地元校や若者の未来への希望を後押しする行政としてチャレンジしていただきたく質問に至りました。
長野県の小谷村、大阪府の枚方市、広島市でも行われております。 国際平和デーまたは国際平和の日とは、国際連合で定められた記念日であり、毎年9月21日とされている平和の日、世界平和デー、または世界平和の日ともいう。非暴力と世界の停戦の日として、敵対行為の停止を世界の国々と人々に呼びかけることを目的としている。
きのう、昭和41年に設立した今治賛士会の会、昭和41年といいますと、東京オリンピックから大阪万博までの間、日本の景気がぐっとよくなる、そういったときに、今治市でも当時の30代、40代の若者たちが立ち上がって、業種を超えて頑張っていこうよという会でありますが、ずっと今に続いております。
今年度は9月に京都・大阪方面の大学やエージェントを訪問しまして、先週も広島・岡山方面の大学やエージェントを訪れたところでございます。また、さきのえひめ国体の期間中につきましては、本市を訪れた選手や関係者にもパンフレットを配布しまして、関心を持たれた団体もあったとの報告を受けております。協議会では、独自のホームページも立ち上げておりまして、宇和島市と愛南町の観光情報もあわせて発信しております。
朝の連続テレビ小説で先週でしたか,エキスポ70大阪万博の時代と博覧会の情景が放映されていました。今でも太陽の塔が残っていて,私は時折大阪の吹田市を横切る中国自動車道を車で走りますが,車窓から見えますので懐かしんでおります。 時代は高度成長期に突入し,大阪万国博覧会へ目指し大阪へとインフラ整備が整い,夢と希望を乗せて時代が大きく変わりつつありました。
本日のトップバッター加藤議員から、戦後の変遷、私、いつも敬老会等でお話をしておりますけれども、池田内閣、高度成長、東京オリンピック、そして大阪万博、日本の活力が一気に、あの昭和20年の大変な困難な焼け野原の中から満を持して立ち上がった時期でもありました。
その一つのインデックスは,1970年,70年安保と大阪の万博があった年ですけど,その当時に比べて免許証を持っている人の数が約3倍以上になっている。それとともに高度成長がどんどん加速していきましたから,地方から都市部へ,あるいは都会へと人口流出がだんだんだんだんひどくなって,地方の人口の減少が地方の過疎路線の公共乗り合いバスの利用者減少につながっている。
45年といいますと皆さん方ご承知の大阪万博、「こんにちは、こんにちは」のあの三波春夫の歌声で、いよいよ日本の経済が大きく進展してきた、今治も工業用水、また上水道の確保、こういったことが急がれていた非常にタイミングのいい時期にいい事業をしていただいたものだと思っておりますし、そして、お話がありました1,500本の桜、秋のもみじ、それから公園、いわゆるオアシスとしての、文字どおりのオアシスとしての役割も
着地型観光に対する理論は,インターネットで大阪観光大学の尾家建生氏と立命館大学経済学部の金井萬造氏の書いた着地型観光とまちづくりを見れば詳しくわかりやすく説明されております。 私は2年前,着地型観光を調べるために大洲市のおおず街なか再生館まで行って河野理事長にわざわざ会ってまいりました。
おかげさまで、国民の生活基盤といったものが充実してまいったところで東京オリンピック、病気のために退任をいたしましたけれども、その後、佐藤内閣、しっかりと池田路線を受け継いだ中で、象徴的な出来事が大阪万博、昭和45年、1970年でありました。世界じゅうからたくさんの皆様方がお越しになり、わずか半年で6,400万人の入場者、そういったまさに日本の経済復興のみならず、経済大国への道を歩んでまいりました。
東京オリンピック、大阪万博等々日本の高度成長とともに歩んできた奥道後も、大きくさま変わりをしました。「蛇を斬った岩と聞けば淵寒し」掲示されている夏目漱石のこの地を訪れたときに読んだ句が静寂感をより深め、夢と希望に満ちあふれていた喧騒の時代の遠い記憶をよみがえらせます。官から民へが時代の流れとなっていますが、この地は民から官へと本来の姿に戻すべきではないかと思います。
昭和45年、大阪万博のあった年、8,218円、50年、沖縄海洋博のあったときに1万5,612円、60年、つくば博があったときは1万8,668円。平成元年、下がりました。1万6,743円、お米ができ過ぎました。平成5年、1万6,392円、下がっております。 それまでは、百姓は統制、統制と言って、農協に出さんものは非国民みたいに言いよったんです。
今年4月30日、大阪府岸和田市の市立飛翔館高校の上野投手がマウンドで打球に直撃され、心肺停止状態になったが、たまたま観戦中の救命救急士が同校に設置されていたAEDで蘇生をさせ一命を取りとめた報道があった。それを期に、県内でも運動中の事故対策として、学校への配備の必要性が指摘されている。
また、さきの6月定例議会では、議案第45号におきまして、東温市観光PRキャラバン隊派遣事業費が承認可決され、早速8月に東温市の魅力を広くアピールして観光客の誘致を図ろうと大阪府庁や旅行代理店などを訪問し、積極的に観光PRをしてまいりました。今後、その効果が徐々に発揮され、また来年春の「となり町戦争」の映画公開により、より一層多くの観光客が訪れ、経済波及効果が高まってくることが期待されます。